王女様短編③ロゼ過去編・キースとロゼ



短編第三弾はロゼの過去編と、闘技大会の時間軸下でのキースとロゼのお話です。








「だーれだっ!」


 背後から小さな手で両の目を塞がれた。きゃらきゃらと笑う幼い声。聞かれずともその主が誰であるかなんて分かりきっているし、彼女以外にあたしにそんなことをする人なんて、思い付く限りでは奥様くらいしかいない。


「ううん、誰でしょう……」


 わざとらしく考え込んでみせるあたしに彼女は「じゃあひんとね!」と声をあげる。心なしかその声音は弾んでいた。


「そのいち。ロゼよりも背がひくいです」

「それなら奥様、ではないですね」

「そのに。今帰ってきたところよ!」

「ステンターへお出掛けになられていたのは奥様とキース、それとエディリーン様にアルアレン様。奥様は違うということですから、これで三人に絞ることが出来ましたよ」


 目を隠されたまま人差し指を立ててみる。疲れて眠ってしまったアルアレン様を背負い、部屋まで運ぶのだとキースが言い残していったから、そのすぐあとに駆けてきた足音は普通に考えたってエディリーン様以外の何者でもない。

 それでも、こうやって無邪気にくっついてくる小さな主人は私がわからないと信じきっているのか「これか最後のひんとよ?」と少し自慢気だ。


「そのさん! ロゼのことがだいすき!」

「わかりました、キースでしょう? 全く、いつもは嫌みばかりのくせしてこんな時だけ……」

「ちがーう! 私のほうがロゼのこと、キースおにいさまより、たくさんたーっくさんすきなの!」


 どうしてわからないの、と頬を膨らませたエディリーン様がぽかぽかと背を叩いてくる。笑いを堪えていればあたしがわざと答えなかったことに気が付いたのか、意地悪だと拗ねてみせた。


 正直なところ、どうして彼女がこれほどまであたしを慕っているか理解が出来なかった。愛想もなければ手際がいい訳でもない、キースが連れてきたからか邪険にされることこそないが、公には出自の明らかでないあたしはこの城では明らかに異質だろう。

 それだというのに彼女は初めて会ったあの日から、まるで雛のようにあたしの後に着いてちょこまかと走り回っている。


「エディリーン様」

「なあにー?」

「エディリーン様は、私のどこが好きなんですか?」


 きょとんとした顔に、後悔した。何だってこんな質問をしてしまったのか。

 何でもないですと取り消そうとした言葉は、口から出る前に遮られた。


「えーっとねぇ。朝起こしてくれるときの声でしょ、まほーみたいにねぐせを直してくれる手でしょ」


 指を折りながら彼女は続ける。


「おうまさんに上手にのれるところも、私がぎゅってするとぎゅーってしてくれるところもすきよ。それと、」

「ま、待ってくださいエディリーン様⁉ 一体それは、いくつくらい、」

「だからいったでしょー? 私はロゼのこと、たくさんだいすきなの。ロゼのことなら、どんなところだってだいすきよ」


 えへへ、と照れ臭そうに彼女は笑う。

 濁ったところなんて少しもない、まっさらでまっすぐな親愛の情。


「……もしも私が悪人でも、貴女は私のことが好きだと言うんです?」


 口を滑って飛び出た言葉は、静寂にほどけた。


「あくにん、って?」

「悪いことをする人のことですよ。人の物を盗んだり、弱いものいじめをしたり、」


 ……人を、殺めたり。


 エディリーン様は少しだけ首を傾げて、それからにぱっと笑った。


「それなら私が行って、ロゼと手をつないであげる。やめてじゃないの、はんぶんこするの」


 そうしたらロゼ、さびしくないでしょ?


 あたしの手は真っ赤に染まっている。それを知らずこの子は、ましろの手であたしの手を握ると言う。

 綺麗なものにしか触れたことのないその手で、血塗れの手を取ると言う。叱るでもなく、否定でもなく、共に歩むのだと。


 あたしにはそれが酷く眩しくて、切なくて……嬉しかった。


「あとね、これはないしょだけど……おにいさまのこと、ちゃーんと怒れるところもすき!」

「えぇ……それは好きなところなんですか?」


 手を繋いで、あたし──いや、私たちは邸へと戻る。

 この手を離すときが来なければいいだなんてそんなことを、柄にもなく祈りながら。








 頭痛がする。四方八方から殴られるようから殴られるような痛みに耐えきれず、キースはごろりとベッドに横たわった。古ぼけた宿の安いベッドはそれだけで軋んで、音をたてる。

 それに気が付いたロゼが不意にこちらを向いて、ベッドで丸まるキースに驚いたように目を丸くした。


「キース? 体調でも悪いの?」

「少し、頭痛がして。別に、君に心配される程じゃないよ」


 口をついた強がりに、ロゼはぎゅっと眉をしかめると椅子から立ち上がる。視界から姿を消したと思えば宿の主人から借りてきたらしい少し厚手の毛布と、小さな袋に入った薬を差し出してきた。


「この頃ね、夢をみる」


 受け取った、指先ほどの大きさのそれを喉に流し込む。ロゼは黙ったまま、口を挟まない。


「君がいなくなる夢。僕が目覚めると君は置き手紙を残して消えているんだ。きまってそこには同じ言葉が書かれてる。でも夢から覚めた僕は、その手紙の中身を覚えていない」


 本当は気付いているのだ。彼女を嘲り笑う度、自分を写すその瞳が揺れることに安堵を覚えていることとか、何か言いたげな彼女を見るたび、口に出してくれるなと願っていることとか。


「……馬鹿じゃないの」


 伏せた瞼を上げる、ロゼはじっと此方を見つめている。


「言葉が足りなすぎるのよ。話を聞いてほしいなら、言ってくれなきゃわからない。黙って消えてくれるなって、一度でも私に言ったことはあった?」

「……いいや」

「それきっと、知恵熱よ。抱え込めないくせに、感受性だけは豊かだから。……変な夢だって、そのせいにすればいい」


 約束された将来をかなぐり捨てた青年だとか、大事しようとしすぎてわからなくなった少年だとか。非情になりきれなかった彼、血にまみれた彼女、それと強くなりたいと願った少年。

 それらを受け止めることなんて到底できないはずなのに、貴方はまるごと飲み込んで笑うのだ。「僕とお揃いだ」なんて下手くそな嘘で取り繕っていること、気付かないなんて思っていないくせに。


 これまでの全てを踏み台にし、本当に守りたかったものを手放した。ひとりにしてと嘯き、差し出されていたはずの手を繋ぎ止めることを諦めた。何よりも愛しいはずのその名を口にする権利を失ってまで、貴方が苦しむ必要はあるの。


 彼女の瞳は雄弁に物語っていた。視線を反らすことができない。


「ねえキース。貴方は本当に、それでいいの?」


 彼女は優しい。それでいて、その優しさが相手を傷付けることがあるということも知っている。だからこうして問い掛けるだけで、彼女は自分の行動に否を唱えなかった。

 例えばこれがキースが彼女に辛辣な言葉を浴びせたときだとしたら、彼女はキースに怒り「あんたには分からない」と突っぱねたはずだ。けれどあの日差し出された手を取ったロゼは、こうして剥き出しの自分に触れるたび、キースのことを「貴方」と呼ぶ。心の奥底まで見透かしたようなその優しさが、堪らなく痛い。


「いいもなにも、僕にはこうするしかなかったんだから。……少し話しすぎたかな、そろそろ寝ることにするよ。薬、ありがとう。助かった」


 早口で言い切って、キースはロゼに背を向けた。話したくない、の意思表示。息を潜め布団を被る。ロゼは少しの間その場から動かずにいて、しばらくしてから立ち去った。


 痛くて、いたくて、たまらなかった。心がぎゅっと締め付けられる。だって、叶うならば、僕は。


「……どうしたいかなんて、そんな、今更」


 口のなかに残った苦味はきっと、薬のせいだけではなかった。





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