短編第二弾はエリスと団長の過去のお話です。
ぎぃ、と玄関の扉を開いた。隙間から中を覗いて、目当ての人物がいないことにエリスはきゅっと唇を噛む。
探しに、いかなくちゃ。
そう思い至って再度、扉を閉める。日の沈みかけた夕闇のなか、忍び寄ってきた冬の気配が詰めたく肌を刺す。ぶるりと身震いして、エリスは両の手にはぁと息を吐いた。
「……おいおい、どういうことだコレ」
影が差したことに気が付き慌てて振り返れば、背後には眉をハの字にして困ったように笑う、男の姿があった。
とりあえず飲め、と渡されたコップを両手で握りしめる。足のつかない椅子にちょこんと座るエリスの目の前に、無造作にくくったアッシュグレーの髪を掻き混ぜながらモルゲンは腰掛けた。
「……ここまで歩いてきたのか?」
「うん」
「そりゃまた、どうして」
「お、オレは! あの家じゃなくて爺さんのとこがいい! ……オレ、可哀想な子って言われるの、いやだよ」
戦禍に飲まれたセデンタリア。エリスの住んでいた村はちょうど、オセルスとの国境に位置していた。周囲を山に囲まれていたこともあって、かの国の兵たちが侵攻する道筋として当然その村を選んだ。
身を挺して息子を守った両親は、あっけなく命を落とした。エリスが見逃されたのはただ、子供だったからに他ならない。
前騎士団長であるモルゲンに拾われ、ひとり生き残ったエリスは彼の手でステンターに住む親族の元へと預けられた。
彼らにとってのエリスは"戦争で親をなくした可哀想な子"でしかない。邪険にされるかもしれなかったことを考えれば待遇はよかったが、四年の月日が流れても腫れ物のように扱われる日々にはどうやったって慣れなかった。
「父さんと母さんが死んじゃったこと、悲しくない訳じゃない。でも、だからって哀れまれるのはもっといやだ」
俯きながらそう呟いた。鏡写しの自分の顔が頼りなさげに揺れている。自分の足でここに戻ってきたことに後悔はないけれど、拒まれたらと思うとコップを持つ手に力が入る。
強張った肩に手が添えられて、恐る恐る顔を上げる。眉をへにゃりと下げたエリスを見て、モルゲンは呆れたように笑った。
出戻ってきたエリスを苦笑しつつ受け入れたモルゲンとの生活が始まって数日が経ち、エリスはあることに首を傾げていた。
例えばあの日、エリスに出された子供用のコップ。食器棚の手前に置かれた可愛らしい装飾の施されているフォークに、小綺麗に整えられていたベッド。
男ひとりで生活していたにしては違和感がある。これだけの証拠が揃っているのだから、もしかしたら誰かもう一人この家にいるのではないか。そう考えて探検してみたがなかなかどうして人影は見付けられない。それどころかその一部始終をモルゲンに言い当てられ、笑われてしまう始末だ。
彼はよっこいせ、と声を出しながらベッドに腰掛け、エリスを手招きした。並んで座り、足をぶらぶらと前後に動かす。
「住んでる、じゃなくて住んでた、が正しいってこった」
「住んでた?」
「そう。お前を預けてすぐ、入れ違いでやってきた奴がいたのさ。エディっつってな、男装してる女の子だ」
目尻を下げたモルゲンが、ベッドの木枠を軽く撫でた。今はエリスの使うそれをほんの少し前まで使っていた人がいることに不思議な感覚を覚えながら、エリスはモルゲンの言葉の続きを目で促す。
「オレのこたぁ師匠って呼んでてな、剣の稽古をつけに来てたんだ」
まあ所謂、お前の妹弟子ってもんだな。そう言った彼に、エリスは「いもうと、」と繰り返した。言葉を覚えたての子供のように何度も舌の上で転がせば、モルゲンは笑ってエリスが口まねした音を繰り返す。
「そうだな、さしずめお前は兄ちゃんってとこか?」
節くれだった彼の指先が、エリスの髪をさらっていく。ぱちりとまばたきしたエリスに、モルゲンは目を細めて悪戯っぽく笑った。
「……いもうと。いもうと、だって」
歌うように四音を転がす。はにかむような一音目に艶を含んだ二音目、無邪気な三音目と、甘える響きの四音目。何だかくすぐったくて顔を伏せ、エリスはぎゅっと手のひらを握った。
「お、オレにも。オレにも、稽古つけて! いもうとに、負けないように!」
照れを誤魔化すように飛び上がってぴょんぴょんと跳ねる。ベッドに立て掛けてあった長剣を両手で持ち上げ外へ駆け出そうとするエリスの頭をもう一度撫でて、モルゲンは破顔した。
モルゲンにとって二人は揃って、愛すべき子供であり、孫だったのだ。
バタン、と後ろ手に扉を閉めた。肩を戦慄かせ叫んだ父親の声が、未だに頭の中で反響している。アルフレッドはその音を掻き消すように頭を振って、薄ら開いた唇をぎゅっと噛む。十九歳。剣の道に進むには遅すぎる年齢だった。
「アルにぃ!」
弾けるような声をあげながら、己と同じ赤髪をした幼い従弟が一直線に走ってくる。それをよいしょと受け止めて抱き抱えれば腕のなかでじたばたと暴れ、にぱっと歯を見せて笑う。胸元に頭を押し付けた彼はアルフレッドを見上げ、きょとんと首を傾げた。
「なんでおしろにいるのー?」
「んー? なんで、だろうなぁ」
「ふーん? へんなアルにぃ」
ついさっき実家を勘当されてきただなんて、口が裂けても言えない。話を紛らわすように彼を肩車して、アルフレッドは足早に回廊を抜けた。てすさびに髪を引っ張る肩の上の従弟の話に相槌を打ちながら、ふつふつと沸くやるせない気持ちを思考の外へと押しやる。
アルフレッドの実家、ランバート侯爵家の現当主である祖父は若い頃、貴族だてらに冒険者をしていた。軽装のままふらりと旅に出る癖は家庭を持っても変わらず、家を空けがちだった祖父に複雑な心情を抱いている父はことさらに、アルフレッドを文官の道に進ませようとしている。祖父のようにはなるなと、父は昔から繰り返し言い続けていた。
アルフレッドとて文官として王に仕える将来が悪いとは思わないし、父の教育の賜物なのか自分がそれなりの位置にいることだって理解していた。有力貴族の子らの通う神殿直属の学校での成績も常に上位で、尊敬の眼差しで見られることだって往々にしてある。それでも、アルフレッドは騎士に焦がれたのだ。
「どうして冒険者になったの」と問い掛けた幼いアルフレッドに、祖父はわしゃわしゃとその頭を撫でながら「知りたかったのさ」としみじみ言った。自分が家を継いだときに守らなくてはならないものを、この目で見ておきたかった。何のために自分という人間が必要とされているのかを、確かめたかったのだ、と。
幼いアルフレッドには祖父の言葉は難しくてよく理解できなかったが、今になってみれば分かる。
ステンターにおける騎士団は他国と違い戦力を第一としていない。国内の治安の維持だとか、いざこざをおさめたりだとかいった、生活に根差した職というのがこの国における騎士の位置付けだった。
純白の正装に深縹(こきはなだ)のマントはキラキラと華やかで多くの人の目をひいたけれど、アルフレッドはそれよりも普段の煤(すす)色の制服に憧れた。それはアルフレッドにとって、祖父の語った「守りたいもの」を守ることのできる象徴だったから。
祖父が"知る"ために冒険者になったのだとしたら、アルフレッドは"守る"ために騎士を志した。ただ、それだけのことだ。
騎士になるのなら家を捨てろと言った父に、頭に血がのぼっていたアルフレッドは啖呵を切った。売り言葉に買い言葉で、今のアルフレッドは「ランバート家の長子アルフレッド・ランバート」ではなくただの「アルフレッド」に成り下がっている。それでもまあ、かの英雄の名を冠したこの名前さえあれば儲けものだ。目の前の道は開けている。騎士の職だって、地位だって、あとは自分で手に入れるのみ。
敷かれたレールに沿って歩んだ人生だって楽ではなかったけれど、これからは全ての責任が自分の双肩にかかってくる。誰もが自分の向こうに家名を見る世界ではなく、等身大の自分そのもので勝負しなければならない場所に、アルフレッドは踏み出そうとしていた。それさえも楽しみだと思えるのは、自分も祖父譲りの、根っからの"冒険者"だからなのだろうか。
(……ああ、だがなぁ)
長子であり一人っ子の自分が家を出たら、きっと父は今肩に乗るこの子を養子として迎え入れる。そして自分が就くはずだった王子付きの秘書は、あの黒い髪をしたリヒテンシュテルン家の少年が担うことになるのだろう。
恨まれるだろうか。それとも、喜ばれるだろうか。自分がこの立場から逃げたとて"自分の代わりになる人間"がいることにこれほど安堵している己はどこまでも利己的で、悲しいほど高慢だ。
「アルにぃ、こんどおうちにあそびにいっていーい?」
「おぅ、いいぞ。でも家の人と一緒にな」
「わかった! じゃあそのときにいっぱいあそんでね」
きらきらとした満面の笑みとともに交わされた約束は、曖昧に濁して答えなかった。その時にはもう、自分は家を出ているだろうから。罪悪感が胸を刺す。
この無邪気に笑う小さな従弟のこれからも、憧憬と嫉妬とをごちゃまぜにした目で自分を見つめてくる眼鏡の少年のこれからをも、踏み台にする選択肢を選ぼうとしている自分への、屁理屈じみた言い訳を心のなかで口にしながら。
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